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キョウエ
相方と秘書猫パンジャとの 3人6脚生活・・が、2010年6月14日に息子も加わり、4人8脚に。 足並み揃わずぎったんばったん。 横浜在住、都内勤務。 本家本元サイト JUNKFACTORYもあるでよ。 更に、製作日記は 我楽多工場作業室 にて。ゆるりゆるりと。 そして、鳥頭な自分の備忘録にと 我楽多工場子供部屋も。 twitter始めてみました。 カテゴリ
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※今日の内容はちこっと、暗いです。すいません。
ここをたまに読んでいる母に向けて・・・・。 実家の柴犬もどき、さくらが死んだ。 迷いイヌだったのを、飼い始めたので享年わからず。 我が家の娘として12年。経産犬だったから、14~5歳ぐらいだったのかもしれない。 数年前から老いが顕著になり、何度も病院にお世話になった。 もう駄目か、もう駄目かと思いつつ、実家の両親の甲斐甲斐しい世話により復活を果たすこと数知れず。 ここ数ヶ月でまためっきり脚が弱くなりほんのわずかな坂さえ辛い、転んだら起きあがれない、自分のリードに自分で絡まって動けなくなる・・いろいろありつつ「でもねー食欲はあるのよー。お母さん、介護するつもりで頑張るわー。」という母の言葉を頼もしく聞いていた。 先日、リードに絡まって動けなくなったさくらを不憫に思った母が、もうあまり動き回らないことだし・・と庭に放し飼いにしたところ、まさかまさかの脱走を遂げ、その先で命果ててしまったらしい。 実家の庭は四方を柵に囲まれ、血気盛んな大型犬ならともかく中型犬の中でも小柄だったさくらが脱走できるような状況ではない。ましてや、後ろ足にほとんど力が入らないさくらがどうして・・と思う。 そして、最後を看取ってあげられなかったことを悔やんで泣く母。 でも今になって思うのだ。 きっと、さくらはもう十分に幸せで満たされていて、最後の最後に自分で死期を悟って、かっこよく舞台から去りたかったんじゃないだろうか。 うちの両親に心から感謝して、最後には迷惑かけたくなかったんじゃないだろうか。 それくらいの気持ちがなかったら、あの状態のさくらが庭から逃げ出したというのが納得いかないのだ。 迷いイヌで、愛情に飢えた時期があったからこそ、イヌ一倍愛情にどん欲で甘えん坊だったさくらが、ただただ自由を求めたとは思えないのだよ。 誰よりも我が家のことが母のことが好きだったのを私は知ってる。 お母さん、きっとそうだよ。 さくらは、幸せでお父さんとお母さんが大好きだったから、そうしたんだよ。 あっちで大好物の食パンくわえて走り回ってるはずだから。 ね。
by kyoe_noriko
| 2009-11-21 09:43
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